本当の意味での幸福とは?

「あなたにとって幸福とは何ですか」という問いに対しての答えは、千差万別だと思います。
ただ、共通しているのは、「欲しいものを手に入れたい」ということと、「不快なものを遠ざけたい」ということの2点に尽きるのではないでしょうか。

しかしながら、幸も不幸もちょうど天気のように移ろいやすく、幸福が得られたと思えばそれを失う不安に悩み、不幸が去ったと思えばまた別の難題に苦しんだりすることも、しばしばあります。
また、お金を得れば幸福と思い、お金を得て幸福になったと思っても、次にまたより大きなお金が欲しいと悩み苦しむことも、よくある姿です。
幸福は一時的なものになりがちであり、過度に欲しがることがそもそも不幸につながる、というのが多くの人にとっての現実ではないでしょうか。

一方、仏法で説かれる幸福は、永続的、絶対的な幸福です。
裏を返せば、仏法の道理にかなわない幸福は、壊れやすく、移ろいやすいものです。また、不幸が訪れないか、幸福が失われないかという不安が付きまといます。

本当の仏法に従って生きれば、なにものにも揺るがせられない安心立命の境地を得ることができます。
これが仏様の教えの最終目的なのです。

幸不幸の”原因”を知る

仏教では、過去・現在・未来の「三世(さんぜ)」をひとまとまりにして考えます。
日蓮大聖人は、「今不幸なら、その原因は過去にある。未来に幸せになりたいなら、今その因を積みなさい」とお説きになっています。

つまり、幸も不幸も偶然起きているのではなく、その現れには、必ず過去にその原因があるという、「因果の法則」を一貫して説くのが、真の仏様の教えです。

「過去」とは、私たちの記憶にない、私たちが生まれいずる前の「過去世(今の人生よりも前の人生)」までが含まれます。
私たち凡人には、そんなころのことはまったくわかりませんが、日蓮大聖人は、「法華経を信じる人は冬のようなものです。冬は必ず春になります」と、誰にでもわかるように、「今正しい信仰をすれば、過去の悪因は消えて不幸がなくなり、未来に必ず幸福が来る」ということを教えてくださったのです。

誰にでも簡単に実践できる正しい信仰の習慣は、不幸の因を消すので不幸が消え、幸福の因を積むので必ず幸福になるという、誠に簡明な道理なのです。

正しい宗教の条件とは

古来より、私たちの社会にはさまざまの信仰が見受けられます。
人それぞれが良いと思う信仰をすればいい、という考えもありますが、仏様は、そういう考えが不幸の原因になっている、と明確にお説きになっています。

宗教は役に立たない、いかがわしいという考えをする人も少なくないようですが、それももっともな話です。
なぜなら、ほとんどすべての宗教は、誤りや不完全さを含んでいて、私たちを本当の幸せには導いてくれないからです。

身近な占い師などに相談する人もあるようですが、優良な占い師は、「私の占いは必ず当たります」とは言いません。つまり不完全であることを知っているのです。
詐欺的ではない代わりに、結局信頼はできないわけです。

宇宙の根本法則とは唯一であり、もしも2つあるならば、この宇宙も2つあることになってしまいます。
日蓮大聖人の教えこそ、その「唯一の法則」なのです。

日蓮大聖人の教えは、過去から現在に至るまで、その矛盾や誤りが一つも現れていない、唯一完全な教えです。
そして、教義どおりの現証(実際に起きること、感じられること)が現れるのです。

ほとんどの宗教が人々を幸せにできていないのは、宇宙の根本法則から、たとえわずかでも外れた部分を持っているからなのです。

本当の幸福を得るには

実は、私たちの本当の幸福とは、私たちの生命の進化、成長に基づくものです。

生命に下支えされた私たちの”環境”は、その生命の状態の反映であると、仏様はお説きになっています。

「環境」とは、人間関係、仕事、性格、能力、収入、病気、悪い習慣や癖など、私たちの生命から来るものすべてを指します。

私たちの生命を、根源的に変えてくださるのが「御本尊」です。
日蓮正宗の正しい御本尊に向かうことで、私たちの生命に、仏様の生命が感応して、私たちの生命は徐々に仏様に似ていく道理なのです。

そうして得られる生命の進化というものは、すべからく私たちの人生をも変えてくれます。
つまり、すべての環境は私たちの生命の影なので、影の形を変えたければ、生命を正せば嫌でも良く変わってしまうのです。

良い仕事がない
お金が足りない
病気に悩んでいる
家族などの人間関係に悩んでいる
自分の性格を変えたい
等々のすべての悩みは、日蓮正宗の信仰で、誰もが必ず乗り越えることができます。
もちろん、あなたも例外ではありません。


御本尊様によって、不幸の因が消えていきますから不幸も消える道理でもあります。
不幸の因を消す因は、同時に幸福をもたらす因でもあるので、私たちの幸福は磐石の、永続するものになります。
これが、うつろわない、まぐれでない、本当の意味での幸福です。

<文責:信徒 宇根勇一>

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